ぽんぽぱんぱん

今日も朝からがっつりがっつり。
お昼も元気にがっつりがっつり。
夜もそこそこがっつりがっつり。
一日よく食べました。マル。
苺チョコベーグル、うまい♪
紅茶とくるみのスコーン、うまい♪
今日は朝からテニス☆
終わったあと、おかんとお昼を食べたいがために一緒に連れていく。
あっというまに約1時間半の練習は終了し、お昼を食べるお店へゴーゴー。
前EたんとYっちゃんと一緒に行った食べ放題〜のお店。わいわい。
すんごい食べたぁ。。だって食べ放題なんだもの。食べちゃうんですもの。
親と行ったもんだから、それこそ恥ずかしいとかないじゃん。(前回もなかったけど…)
だから思いっきり食べ過ぎた。腹いて〜〜!ってまた言ってた。
でもおかんもおかんで食べ過ぎてて。ほんと、この人の娘なんだな…ってしみじみ。
もうこれで終わりだろ、って思って席に着くんだけど、「ちょっと運動しなきゃね・・」と言って席を立って、「新しくじゃこと高菜のパスタが補充されてた!」とか報告してくれる当たりがね…「杏仁豆腐補充されたばっかで綺麗でおいしそうだったからもってきちゃった」って。あぁ、お母様。私はあなたと血がつながっていることを実感します。
たらふく食べたあと、図書館に行く。
したら家なき爺がうようよいた。
別に迷惑かけられなければいいんだけど、ず〜〜〜〜〜っとず〜〜〜〜っと「ぅーーーーぅーーー…」ってなんかの機械のモーター音みたいなうめき声をあげながら本を見て回ってる人やら、たたずんでいるだけでこちらの眉間にしわが寄ってしまうほどの異臭を放たれてる人とかね。わりと害を被ったぞ。ぷんぷん!!!!立腹!
いくら図書館が公共のものだからって、誰もかれも受け入れていいもんか?!とちょっと疑問に思ったよ。ちゃんと税金払っとんかーーおじはん?!
そりゃ静かであったかくて暇つぶしもできるところだから、うってつけの場所だとは思いますけどねー。
なんかそういう場面や、本があんまり綺麗じゃないってのにちょっとげんなりしたので、YAWARAの最終巻だけ読んで、ちょっとうるっとして帰ってきた。
あー漫喫行きたいわ。うん。
夜は思う存分テレビを見た。
あんまりおもしろいテレビはなかったですね。
でも普段なら見ない番組ばっか見てた。
お笑いライブ10だっけ。初めて見た。全部は見てないけど。
Eたんの大好きなさっくん見たよ。なんか思ってたよりかわいい人で好感あがりました。てぬぐい使ってくれてるといいな〜と私もちょっと思ったよ。
インスタントジョンソンのお疲れちゃんの人、そういや前のバイト先に来たなぁって思って見ちゃった。ダウンタウンDXの視聴者は見た!のネタ募集でインスタント〜がこの前名前載ってたけど、そこに投稿するほどのネタはなかったよなぁ…ってこの前思ったことですよ。
んで、10時になって本当はニュースを見たかったんだけれども、今日話題のニュースは明日の特ダネで見るとして。
いろんなチャンネルをかえまくって見てた。
色々かえてたら課外授業ようこそ先輩がいつのまにか始まってた。おー。松尾氏が自分のこと先生って言って授業してる。なんか…いいなぁ。私も教わりたい。
大人ってなんだろう。
ってことを考える授業でしたね。私もよく考えます。
松尾氏の奥さんの話がちらっと出てきてたね。私、奥さんの話すごいすき。人見知りをしないっていうとこで、「フリスク食う?」はやっぱ出てこなかったね。(すごい印象に残ってるんだよねー。)
芸能人だけどよくわかんないぞこのおっさん、誰?みたいな小学生やカメラを意識してたまにカメラ目線になる子供たちを見てて恥ずかしくなって途中途中でWBSにかえたりグータンを見たり。市村涼子かぁ…めっちゃ幸せそう。なんか素敵だわぁ。
今日たまたま読んだ雑誌で、ちょっと反省したことがひとつ。
私はあんまり幼児が好きじゃないのです。手に負えない感じ。突然うるさいし何考えてるかとか当然わかんないし。とにかく「なんかむかつく」って思っちゃうの。
そりゃ「かわいいな」と思う子供もいるけど、でも基本的に自分の思うとおりに行動してくれなさそうで嫌です。それが子供なんでしょうけども。
でも、今日読んだ雑誌で、私のこの気持ちは嫉妬なんだ、と気づかされたのです。
私は子供に嫉妬してるんだ。私こそ無条件に愛されていい存在なのに…と不服なのだ。
私の子供っぽいとこ。そっか。そうだなぁ。嫉妬してるんだ。
甘えたい放題だもんね。いいな。
そりゃ私も両親には甘えたい放題してますけど、でもちょっと違うよねー。甘え方が。
子供はストレートに私を見て!愛をちょうだい!って泣き叫べるもんなー。
それはできないもの。他のとこに勝手に期待してしまうよ。私のこの気持ちを察してくれ。そして愛を注いでくれ。わかるでしょ?ってな。
これもこの前読んだ文章から引用なんだけど、大人っていうのは愛を自分の中から生み出して、誰かに注ぎ込めるようになることなのかもしれないって。
子供はそれを受け止めるだけ。ただただ愛を受け取るだけ。
でも自分もそうやって愛を注がれてきたとして。
循環してるんだっていう説をよみまして。なるほど〜!ってすごい思った。
あ、待って。ちゃんと引用しよ。自信ないわ。
どこで読んだ文章かといえば、またまたほぼ日なんですけどね☆
最近読み出したコンテンツで、おとなの小論文教室っていうやつ。山田ズーニーさんが書いてらっしゃいます。

(途中から)
子どもはおとなから愛を与えられ、
おとなは、自分で愛の循環をつくり出す。
そう仮定したら、やっぱり、そのしくみが入れ替わる、
思春期は、精神的にきついなあ。

いま表参道で暮らしていると、
ここは恋人たちの街なのか、いやでも
手をつないだカップルに、次々でくわす。

以前は、あつくるしいと思っていたカップルを、
いまは、「うまくいけよ」と祈るような目で見ている。

カップルは、愛の製造機。

一組の好きあった男女が一緒にいるというのは、
つくづくよくできたシステムだな、と思う。
愛し、愛され、そこでは、愛が製造され、循環する。
恋人たちが幸せになってもらわないと困る。

いっぱい幸せになって、いっぱい愛を製造して
周囲におすそわけしていってほしい。

そうか、おすそわけする分を、
生まれた子どもに注ぐのだな、
そう考えたら、結婚というのも、
すごくよくできたシステムだ。

父さん、母さんで愛をつくり、
つくり出した分を、
自分ではまだ食っていけない子どもに与える。

結婚という形をとっても、この、
愛の循環がつくれなかったら、
おとなになりきれず。

結婚ではなく、
友情とか、ご近所とか、その他の人間関係や、
仕事でも、愛し、愛され、つむぎだした愛を
必要な人に注ぐ、という循環がつくれたら、
おとな、ということになる。

『大人というものはどんなに苦労が多くても、
 自分のほうから
 人を愛していける人間になることなんだ
 と思います。』

私は、ここへ来て、重要なことに気づいた。

おとなになったら、「愛する対象がいる」ということだ。
それは、男女の愛には限らないのだけど。

愛されたくても愛を与えてもらえない子供と、
愛したくとも、愛を注ぐ対称がないおとなと、
どっちが苦しいのだろう?

すきっ腹もカリカリするが、
出るものが出せない、というのも、閉塞感がある。

「おとな」になるっていうことは、
自分に必要な愛は、自分でとってきつつ、
ちゃんと自分から愛を注ぐ対象を見つけ、
そこに必要な愛を注いで、
細々とでも、それを、
循環して続けていけるっていうことだ。

これを読んだとき、ぴたっときたのです。心にピタっと。あぁ、そうだよなぁって。
この、「心にピタっ」とくる感じに感動して、ちょっとうるっとした。私の中にもあったこのような言葉にならない思いを、ちゃんと文章にして、言葉で表してくれる人がいるってすごく素敵だし、嬉しい。そしてうらやましい。なんでこんな風にあらわせれるんだろう。
でもよ〜〜〜く考えないとここまでうまく言いたいことまとめられないけど。
私の中にもなにか漠然としたものがどろーんとある。自分の核になってるような、普段そこが基準になって動いたり考えたりするような、感情の塊。
でもその核はすごく漠然としていて、ぼや〜〜っとしか見えないから、いつも明確にあらわすことは避けてきた。というよりできなかったんだけど。
でもこの文章読んで、あぁ、すごくしっくりくるなぁって思った。この考え方、私の中にもある!って強く思ったのです。
考えて考えて、自分の中から出てきた考えを自分の言葉で表せれたらどんなにかいいだろう。私もやりたい。でも考える作業で多分諦めちゃうんだなぁ。
はぁ。なんだかなぁ。文章力がほしい!創造性と考察力が欲しい!
(ほぼ日のおとなの小論文教室、2005年の10月19日の連鎖5というところをご覧いただければこの文章全部書いてありますよ)
私はまだまだおとなになりきれないなあって思いました。
万年思春期だーーわはは。ってちょっと笑えないな。大人にならなきゃなぁってちょっと焦る。年齢だけ重ねてっても中身がついていかないのは困りものだわ。
あーなんだか最近人の文章に心を動かされることがよくあります。
インターネットバンザイですよ。これからもよろしくですよ。
お薦めサイトがありましたらこっそり教えてやってくださいね。お願いします。